楠木正成公(大楠公)は、永仁2年(1294年)、河内国赤坂水分(大阪府千早赤阪村)でお生まれになりました。この地の豪族の出身だと伝えられています。
元弘元年(1331年)正成公38歳の折、鎌倉幕府を倒して天皇自らが政治をとり、よりよい国をおつくりになろうとされた後醍醐天皇のお召しにより、天皇の許に馳せ参じられました。正成公はじめ鎌倉幕府打倒に立ち上がる武士も少なくありませんでしたが、幕府軍の力はなお侮(あなど)りがたく、後醍醐天皇は捕らえられて、隠岐島(おきのしま)(島根県)に配流になります。
しかし、後醍醐天皇が配流になった後もそれに臆(おく)せず、なお戦い続けた武将が.いました。それが正成公でした。河内国の千早城では、さんざん敵を悩ます戦を続けられました。
正成公の目覚ましい戦いぶりは、諸国の武士を驚かせ、勤王軍への加勢を促しました。ふがいない幕府軍を見て、北条氏率いる幕府軍の打倒に立ち上がった武士等の蜂起が各地に相次ぎ、やがて幕府軍が敗退し、建久3年(1192年)から続いた鎌倉幕府はとうとう滅亡してしまいます。




























