湊川神社の由緒

楠木正成公を祀る
神戸の名社

智・仁・勇の三徳を備え聖人と仰がれた南北朝時代の名将、楠木正成公をお祀りし、
神戸っ子には楠公なんこうさんと親しまれています。
楠樹の緑陰で覆われた境内は都会のオアシス。
安産祈願、お宮参り、七五三、厄除、家族の人生の節目に訪れる祈祷者数は兵庫県内有数。
正月には全国から100万人を超える崇敬者、初詣に訪れ、境内は立錐の余地のない程の賑わいとなります。


御祭神

主祭神

楠木正成公(大楠公)

配祀

楠木正行公(小楠公)

湊川の戦いで殉節されたご一族16柱(楠木正季卿・江田高次命・伊藤義知命・箕浦朝房命・岡田友治命・矢尾正春命・和田正隆命・神宮寺正師命・橋本正員命・冨田正武命・恵美正遠命・河原正次命・宇佐美正安命・三石行隆命・安西正光命・南江正忠命)並びに菊池武吉卿

摂社・甘南備神社

大楠公夫人

境内神社

楠本稲荷神社 御祭神:倉稲魂命・猿田彦命・大宮女命
菊水天満神社 御祭神:菅原道真公


ご盛徳

ご盛徳

正成公の智・仁・勇の三徳と誠忠節義の精神は、楠木家子々孫々に受け継がれただけではなく、日本史上、日本人の精神にこれほど多大な影響を及ぼした人はいないとまで云われています。私利私欲なき純忠至誠の精神(楠公精神)は、日本の国柄として国民を感化し続けてきました。

ご利益

開運招福、厄除、家内安全、交通安全、夫婦良縁、情報業・流通業繁栄、学業成就、商売繁盛


由緒

由緒

楠木正成公は後醍醐天皇の勅命を受け、鎌倉幕府の勢力や新たに武家の政権を立てようとする足利高氏と戦って正義と忠誠を示されました。
しかし延元元年(1336)に、この湊川の地での足利軍との戦(湊川の戦い)で自刃されました。
その後地元の人々によって、この地に葬られていた正成公の塚(お墓)は大切に守られてきましたが、江戸時代に入り、正成公を非常に崇敬された徳川光圀公によって立派なお墓が建立されました。
このお墓の建立後は正成公を慕い、その精神を拠り所とするため、多くの人々が参詣し、特に幕末には吉田松陰や坂本龍馬など、志士達が訪れました。
明治元年に明治天皇がこの地に神社創祀の御沙汰を下され、明治5年に創建されました。
正成公の「御殉節地」と、徳川光圀公自筆による「嗚呼忠臣楠子之墓」の墓碑は、国の重要文化財史跡。
先の大戦で焼失し戦後復興された社殿の天井には、全国の著名画家から奉納された天井画164点が収められ荘厳で豪華です。
宝物殿には「段威腹巻」(伝正成公御着用)や御真筆「法華経奥書」(共に国重要文化財)などゆかりの品々を展示しています。
また境内には、楠木家と能楽の祖である観阿弥・世阿弥との血縁関係より神能殿があり、兵庫県内随一の和の殿堂として伝統芸能愛好者に親しまれています。