ご祭神・楠木正成公の生誕から約730年。
楠木家について解っていないことも少なからずあり、正成公が歴史の表舞台に登場したのは僅か4年ですが、
史料に基づき楠木家の年表をまとめました。
- 永仁2年(1294)
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4月27日
楠木正成公、大坂南河内赤坂に誕生。
幼名は多聞。 - 元弘元年(1331)
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8月27日
後醍醐天皇、笠置山に楠木正成公召し給う。 - 赤坂城の戦い
- 元弘3年(1333)
- 赤坂城の戦い・千早城の戦い。
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5月22日
鎌倉幕府滅亡。 - 建武元年(1334)
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正成公、壷井八幡、建水分神社、観心寺本堂を修築。
寄手塚、身方塚を赤坂に建立、敵味方共に戦死者を弔う。 - 延元元年(1336)
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5月23日
正成公、正行公に後事を託し訣別。(桜井の別れ) -
5月25日
正成公、湊川に足利高氏の大軍を迎えて合戦(湊川の戦い)。
正成公、弟正季卿と七生滅賊を誓い刺し違えて殉節。 - 正平3年(1348)
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1月5日
正行公、四條畷で高師直と合戦。
弟正時と刺し違えて殉節。 - 永禄2年(1559)
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11月20日
大饗(楠木)正虎、正親町天皇に楠木氏の朝敵赦免を嘆願。
松永久秀、織田信孝の執り成しで赦免となる。