楠公崇敬の歴史年表

湊川の戦いでの殉節以降、正成公への景仰心が日本人の心の礎となり、歴史を大きく動かしてきた約680年間。
「楠公」とは日本人の理想の高邁な精神を具現化し得たものでもありました。
楠公崇敬の歴史を年表にまとめました。

永禄2年(1559)
11月20日
大饗(楠木)正虎、正親町天皇に楠木氏の朝敵赦免を嘆願。松永久秀らの執り成しで赦免となる。
文禄年間
(1592~1596)
豊臣秀吉、検地により楠公御墓域の東西4間南北6間、24坪を免租地とする。
正保3年(1646)
尼崎藩主青山幸利が、楠公墓所に梅松を塚印として植栽する。
後に五輪供養塔も建立。
寛文3年(1663)
5月25日
我が国で初めて楠公が祭られる(佐賀藩士深江信渓が、楠公父子の木造を自らの庵室(後の永明寺)に奉斎した。
元禄元年(1688)
4月21日
松尾芭蕉、楠公墓所参詣。「なでし子に かかる涙や 楠の露」の句を詠む。
元禄5年(1692)
12月21日
徳川光圀公、楠公墓碑「嗚呼忠臣楠子之墓」建立。
元禄8年(1695)
9月
徳川光圀公、墓所に方3間の堂宇を建立。
11月25日
近隣の僧衆70余名を招き、楠公360年祭を墓前にて行う。
正徳元年(1711)
9月
近松門左衛門、浄瑠璃「吉野都女楠」大阪竹本座にて初演。
正徳3年(1713)
儒学者・神道家の若林強斎は、師の浅見絅斎の私塾錦陌講堂を再建し、12年後に「望楠軒」と改称。
享保20年(1735)
3月21日
楠公400年祭を墓前にて斎行。
延享3年(1746)
1月14日
大阪竹本座で2月11日京都布袋座で、各々浄瑠璃と歌舞伎の「楠昔噺」が初演。大入り盛況。
宝暦元年(1751)
11月22日
尼崎藩主・松平(桜井)忠名、楠公墓所に石灯籠を寄進。以降、歴代藩主5名も建立寄進。
天明5年(1785)
5月25日
楠公450年祭を墓前にて斎行。
寛政9年(1797)
滝沢馬琴、黄表紙「楠正成軍慮智恵輪」上下巻刊行。
寛政12年(1800)
兵庫金光寺にて太平記軍事講談公演。75日連日満員の盛況。
文政9年(1826)
2月4日
シーボルト、墓所参詣。その状況は旅行記「江戸参府紀行」に記された。
天保6年(1835)
5月25日
楠公500年祭を墓前にて斎行。橋本藤左衛門邦直は『嗚呼帖』を編纂する。
天保11年(1840)
10月
「楠公墓所に参詣する者日に千人を以て数える」(広瀬旭荘著『日間瑣事備忘』朔日の条)
弘化元年(1844)
4月24日
真木保臣、初めて楠公墓所参詣。
嘉永4年(1851)
3月18日
吉田松陰、初めて楠公墓所参詣。以後3度参詣。
4月
横井小楠、楠公墓所参詣。
嘉永5年(1852)

日柳燕石、楠公墓所参詣。
万延元年(1860)
4月
久坂玄瑞、楠公墓所参詣。
文久2年(1862)
12月6日
新島襄、楠公墓所参詣。
12月25日
勝海舟、楠公墓所参詣。
文久3年(1863)
坂本龍馬、楠公墓所参詣。
8月21日
三条実美、東久世通禧ら ‘七卿落ち’の七人の公家、楠公墓所参詣。
文久4年(1864)
2月9日
薩摩藩・島津久光、墓所の側に護良親王及び楠公・北畠親房等の御霊を祀る社を建設することを朝廷に請願。朝廷即日許可したが実現せず。
元治2年(1865)
5月頃
桂小五郎(木戸孝允)楠公墓所参詣。
慶応3年(1867)
1月19日
新選組・伊東甲子太郎、楠公墓所参詣。
11月8日
尾張藩第14代藩主・徳川慶勝)、京都吉田神楽岡に楠社創建を朝廷に請願。(以降2回請願。)
明治元年(1868)
3月22日
兵庫裁判所の役人・伊藤俊輔(博文)等、有志6名が神戸の豪商・北風荘右衛門(正造)と打合せの上、東久世通禧へ、楠社創建を建議。
3月24日
東久世通禧はこの建議を納れ朝廷に請願。
4月21日
明治天皇より、湊川神社創建の御沙汰が下される。
閏4月19日
水戸藩主第10代藩主・徳川慶篤、楠社創建は水戸藩に一任されたき旨、朝廷に請願。
6月
尾張藩主・徳川義宜、京都神楽岡に楠社創建することを朝廷に請願。
明治5年(1872)
5月24日
湊川神社鎮座。
明治6年(1873)
4月28日
初代宮司折田年秀就任。
9月10日
岩倉具視、湊川神社参拝。
明治13年(1880)
7月21日
明治天皇、湊川神社行幸。
明治18年(1885)
7月19日
大楠公550年大祭斎行。
明治21年(1888)
9月10日
湊川神社と相生橋で、関西で初めての電灯点灯。
明治24年(1891)
5月9日
ロシア帝国皇太子ニコライ2世、湊川神社参拝。
明治27年(1894)
10月
ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)、湊川神社参拝。
明治33年(1900)
7月10日
皇居外苑に大楠公像建立。設計主任は高村光雲。
明治35年(1902)
4月27日
日本最初の水族館を境内に移設。
大正4年(1915)
10月13日
野口英世、母シカと共に湊川神社参拝。
昭和4年(1929)
6月7日
昭和天皇、湊川神社行幸。
昭和10年(1935)
5月25日 大楠公600年祭斎行。参列者約3000名。
5月22日
湊川公園に大楠公像建立。
昭和20年(1945)
3月17日
神戸大空襲で本殿・拝殿・社務所等被災
昭和27年(1952)
10月24日
湊川神社本殿再建の正遷宮祭斎行。
昭和43年(1968)
3月14日
明治維新100年祭斎行
4月21日
湊川神社創始御沙汰100年祭斎行。
昭和47年(1972)
5月24日
湊川神社鎮座100年祭斎行。
昭和60年(1985)
5月25日
大楠公650年大祭斎行。