新しい年の到来を告げる初太鼓が、時を合図に威勢よくたたかれます。同時に一年の招福を願って、その年の最初の神楽が奉納されます。

- 初神楽の奉納

- 正門前にも溢れんばかりの参拝者

- 境内をうめつくす参拝者
新年を祝い、皇室の弥栄と国の隆昌、国民の安泰、世界の平和を祈る祭り。巫女による神楽舞が行われます。
神社で毎日、氏子の平安と氏子区域内の企業繁栄と共に、国の隆昌をも願って毎早朝に行われる祭りを日供祭と称し、その年の最初の日供祭を「初日供祭」と云います。巫女による神楽舞が行われます。
皇位の元始(大本)をしのび、国の平安と皇室の隆昌とを祈る祭り。巫女による神楽舞が行われます。

氏子崇敬者の家業繁栄・平穏無事と、企業・団体の発展とを祈る祭。祭典に引続き、能楽神戸観世会有志奉納による「翁」面掛式が行われます。

- 神楽「浦安の舞」奉納

- 神戸観世会有志奉納「翁」面掛式
立春を迎えるにあたって除災招福(じょさいしょうふく)を祈る祭り。祭典の後、境内特設舞台において、天地を祓い(はらい)清めるお弓神事(ゆみしんじ)を行い、次いで裃(かみしも)姿の福男、金色の烏帽子(えぼし)・千早姿(ちはやすがた)の福娘らが、数千人の参拝者に向かって、約2万袋の豆を撒(ま)きます。
「鬼は外、福は内!」の威勢よい掛け声が、厄災を祓い、幸福をもたらします。又、授与所には、頒布福豆の「当り福」を求めて大勢の人が終日、受けに訪れます。

- 大勢の参拝者が集まる節分祭

- 福男・福娘による豆撒き

- 当り福を求める人達
神武天皇(じんむてんのう)が大和橿原(やまとかしはら)の地(現在の奈良県橿原市)で御即位(ごそくい)された日が、我が国の建国の日で、この年が紀元元年です。
明治以来終戦までの紀元節(きげんせつ)は占領軍により廃止されましたが、国民の強い希望により、昭和41年再び、「建国記念の日」として制定されました。この神武天皇の橿原宮御即位(かしはらのみやごそくい)を寿ぎ、行われる祭典が紀元祭です。
境内神社・楠本稲荷神社(くすもといなりじんじゃ)の祭り。五穀豊穣や産業の発展を祈る祭典に引続き、巫女が釜に沸した湯に笹束を浸し、周囲に振りまいて罪ケガレを祓い、家内安全・商売繁盛・無病息災を祈る「湯立神事(ゆたてしんじ)」が行われます。

- 本殿前での神楽

- 巫女による湯立神事
国のはじめ天照大御神(あまてらすおおみかみ)は、この国土に天降られる皇孫(こうそん)の天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)に、これは青人草(あおひとくさ(国民))の食すべきもので、これを食して民族平穏にして国家繁栄に努めなさいと「稲」をお授けになりました。それ以来、私たちは、この教えを守って稲を作り、稲魂のこもった「米」を主食としてきました。この稲作りをはじめるにあたり、自然の恵みに感謝し、予期しない諸々の災害をうけないように神々に祈り、ひたすら豊作を冀う(こいねがう)のが、祈年祭です。
現今では、生活の多様化もあって、商工業全般の繁栄をも祈るまつりとなっております。このお祭りは、全国の神社で、大祭という重儀のまつりとして行われます。当社も、四大祭の一つとして斎行(さいこう)されております。
月次(つきなみ)とは、「毎月」のことです。その神社に縁(ゆかり)ある日に行われます。
国家安泰と国民の弥栄(いやさか)、五穀豊穣、商工業の繁栄、氏子崇敬者の健康と家内安全などを、大神様に祈願し、神楽(かぐら)を奉奏します。
早朝、清清しい神域で心静かに神前に向かいますとき、きっと日々の神恩を感謝して自然に頭が下がり、これからの一ヶ月を元気よく乗り切る活力が湧いてくることでしょう。
どなたでも御参列できます。

- 月次祭の祭典

- 宮司講話

- 神酒直会
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昭和天皇の誕生日である4月29日は、「昭和の日」と定められ、その御聖徳を景仰し、皇室の隆昌と国運の発展とをお祈りする祝日となりました。よって、昭和祭は、昭和の御代(みよ)を顕彰し、民族の自覚を新たにして、ますます文化を進め、産業を興して、永遠の平和繁栄をお祈りするお祭りです。
御祭神・楠木正成公の御遺徳(ごいとく)を称(たた)えて、5月月間を"楠公まつり"とし、様々な祭典が執(と)り行われ、楠の若葉の香る境内は連日大勢の参拝者で賑わいます。
嵯峨御流・未生流中山文甫会・未生流(庵家)・未生流の4流の家元等である神社の華務職(かむしょく)が、神前で花をいけ、大前に供えられます。また社務所では土・日曜の二日間に亘り、奉祝のいけばな展が開催され、会場は多くの人々で賑わいます。

- 華務職奉仕による挿花の祭

- 奉祝いけばな展
本神社の献茶祭には藪内家(燕庵)、表千家(不審菴)、裏千家(今日庵)、武者小路千家(官休庵)、堀内家(長生庵)久田家(半床庵)の六庵が輪番制で奉仕されています。
各庵の家元らにより神前に、濃茶・薄茶が供されます。又、拝服席など茶席(3席)並びに点心席が設けられ境内は終日賑わいます。

- 献茶の儀

- 尚志館での茶席
日々の生活の中で、知らずしらずのうちに身についた罪やケガレを祓い清めて、無病息災(むびょうそくさい)をお祈りする「大祓神事」と、茅の輪(ちのわ)をくぐる事により、悪疫退散(あくえきたいさん)を願う「茅の輪神事(ちのわしんじ)」とが併せて行われます。

- 大祓式

- 参拝者全員で茅の輪をくぐる
延元元年(1336年)5月25日、楠木正成公(大楠公)が殉節された日を新暦に換算した7月12日が例祭日と定められました。巫女による神楽「橘の舞」が舞われます。

- 毎年大勢の参加者

- 橘の舞
御祭神、楠木正成公以下御一族の御遺徳を偲ぶと共に、日頃からの御加護と神恩への感謝を込めて提灯(ちょうちん)を奉献して御霊(みたま)をお慰めします。
期間中は楠木正成公のねぶた灯籠が豪華絢爛(ごうかけんらん)な輝きを放つ中、本殿前の櫓(やぐら)を囲み、御前(ごぜん)踊りが毎夜行われます。又、天神祭期間中は、当社創作の「平成天神踊」も踊りに加わります。大勢の方が浴衣で夏の夜のひとときを楽しみます。また、25日には納涼茶会、26日には鮎とりなど神賑行事も催されます。

- 櫓を囲んでの踊りは大賑わいに

- ねぶた燈籠

- 献燈された沢山の提灯
境内神社の天満神社(てんまんじんじゃ)の祭り。菅原道真公(すがわらみちざねこう)をお祀りした天満神社は、明治9年に御鎮座となり、年中のお祭りの中でも一番大切で大きなお祭りがこの菊水天神祭です。毎年8月25日を中にして、前後3日間に亘り、本社夏祭りの期間中に合わせて行われます。
25日は本祭ですので、子供御輿が氏子区域内を巡行し、境内では「お絵かき天神とうろう」の献灯(けんとう)がされます。

- 子供神輿の巡行

- 鮎とり

- お絵かき天神とうろうの奉納
大楠公夫人を祀る甘南備神社は、明治39年9月22日に、御本殿の東側に鎮座になり、翌年よりこの日を摂社例祭日と定められました。家を預かり、銃後の守りに怠りなく、内助の功よろしく大楠公をよく支えられた大楠公夫人の御功績は、世の婦人の亀鑑として、篤い尊崇を集めてきたのです。
戦後の昭和27年、甘南備神社は御本殿に遷され、大楠公の御霊と共にお祀りされることになりました。以来、大楠公と御夫人は、『夫婦の鑑』として称えられ、また、かねてより夫人の婦徳を世に広めるために活動してきた湊川神社婦人会の活躍もあって、現在まで多くの人々に崇敬されてきました。
毎年10月17日には伊勢の神宮で、天照大神様に初穂を捧(ささ)げる「神嘗祭」が行われます。このお祭りは、我が国の祭祀の根本をなす祭りで、古来より、伊勢の神宮だけで行われてきた最も重要な祭りです。この日は宮中でも神宮を遥拝して、お祭が行われます。
神嘗奉祝祭は、この「神嘗祭」をお祝いして全国の神社が行うお祭りで、天照大御神様の御神恩(ごしんおん)を、全国民挙げて感謝するお祭りといえます。
明治天皇のお誕生日に際し、明治維新の激動の時代に、日本古来の文化伝統を守りつつ、西洋文化をも積極的に取り入れ、日本国の存在を世界に知らしめられた明治陛下の御聖徳(ごせいとく)をしのび、且つ、偉業(いぎょう)を称え、皇室と国家の発展を祈る祭りです。
このお祭りは、全国の神社でも広く行われています。
子供は7歳までは神様からの授かりものと言われます。七五三参りは、この間の子供の成長を奉告し、感謝し、その後の無事をお祈りする神社へのお参りです。
3歳、5歳、7歳の折々の祝の儀は昔より、それぞれ、3歳では「髪置の儀(かみおきのぎ)」といって、この日を境に髪を伸ばし、おかっぱを結髪に改めるお祝いとし、5歳では「袴着の儀(はかまぎのぎ)」といって、初めて袴を着けるお祝いとし、冠(かんむり)をつけて碁盤(ごばん)の上に立つ風習もあります。7歳では「帯解の儀(おびときのぎ)」といって、着物に縫い付けている紐を取り、大人と同じ帯に替えるお祝いとし、それぞれの節目を祝う3儀式といえます。
江戸時代、5代将軍徳川綱吉(つなよし)が長男徳松(とくまつ)の健康を祈って、11月15日に祈願したことが始まりとされています。
当社では、11月中、多くの方が参拝に訪れ、連日境内は晴れ着姿の御家族で賑わっています。

- 玉串拝礼

- 巫女が御鈴をお授けします

- 着ぐるみと記念撮影
新嘗祭は、その年に収穫された新穀を神様に供え、収穫を喜び、農作物の恵みに感謝するお祭りで、豊穣を祈る2月17日の祈年祭と共に、代表的な稲作祭です。古来、わが国では、年の始めにあたって国家の安泰と共に、穀物の豊穣を祈る祈年祭(きねんさい)、いわゆる春祭りが行われ、秋に収穫を感謝するお祭り、この新嘗祭を行って来ました。わが国の文化は米作りを中心とする農耕文化を基盤として成立しており、春に五穀の豊穣を神に祈り、秋にいたってその豊作を神に感謝する基本的な祭りが、古くから国家の祭祀として定められ行われてきました。
今も宮中では、天皇陛下御自ら稲の刈り入れをされ、その新穀を天照大御神様をはじめ、天地の神々にお供えされて、お祭がなされます。全国の神社でも、大祭という厳重な儀をもってお祭りがなされています。
敗戦に伴う占領軍の施策によって、神社の国家管理が廃止され、それと共に、この祭日「新嘗祭」は勤労感謝の日と名を変えさせられ、「勤労を尊び、生産を祝い、国民が互いに感謝をしあう日」となって、本来の祭日の意義を失ってしまったのです。
境内神社の楠本稲荷神社の祭り。秋の収穫に感謝する祭典に引続き、巫女が釜に沸した湯に笹束を浸し、周囲に振り撒いて罪ケガレを祓い、家内安全、商売繁昌、無病息災を祈る「湯立神事(ゆたてしんじ)」と、焚木を井桁に組んだ火床に神職が忌火(いみび)で点火し、氏子崇敬者から寄せられた願い事が書かれたお火焚串(おひたきぐし)を焚き上げる、「お焚上神事(おたきあげしんじ)」が行われます。巫女による浪速神楽(なにわかぐら)「扇舞・鈴舞(おおぎまい・すずまい)」が行われます。

- お焚上神事

- 湯立神事
天皇陛下の生誕を寿ぎ、大御代の弥栄と皇室はもとより、国家・国民の繁栄を祈る祭典で、全国の神社で斎行されます。この天皇陛下の生誕を祝う行事は、奈良時代後期、光仁天皇の時に初めておこなわれました。以前は、新年、紀元節、明治節、と共に四大祭とされ、全国の小学校や各種団体により、記念式典が行われるなどしました。
大祓は、神代(かみよ)から伝わる我国の重要な神事で毎年6月と12月の晦日(みそか)に行われてきました。日々の生活の中で、知らずしらずに身についた、さまざまな罪ケガレを祓い清め、以て無病息災を祈る神事、それが大祓です。
今年1年の神恩に感謝し、輝かしい年が迎えられますようお祈りする祭り。巫女による神楽舞が行われます。

































