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発輿祭(はつよさい)本殿前にて 午前9時
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本殿から神霊(みたま)を神輿と葱華輦へ移す
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楠木正行公(小楠公)代 女優の松下萌子さん
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楠木正成公(大楠公)代 楠木正季卿代 出発の準備を
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境内の楠の新緑萌える中、いよいよ出発
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正門前には、早朝から黒山の人だかりが
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神門をくぐり、武者行列が始まる
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さあ行くぞ!稚児達も全行程を一生懸命奉仕
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声援に応える楠木正成公(大楠公)代の井戸兵庫県知事
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行列の先を行くのは、「青葉茂れる桜井の」を奉奏する楠中学ブラスバンド部
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騎馬武者は全22騎にも及ぶ
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燦然と輝く御輿に、自然と手を合わせる人々もいた
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時代考証もなされた当時の兵士姿
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元町商店街を進む騎馬女房
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元町商店街に錦旗が翻る
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行列はハーバーランドへ入る
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人力車に乗った特別稚児達
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法螺貝の奉仕が、行列に勇壮さを添える
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爽やかな潮風を受ける社号旗
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高浜岸壁を騎馬武者など、所役が行きかう
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神戸のシンボル、ポートタワーと黄金に輝く御輿の共演
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行列総指揮を先頭に、ハーバーランドを後に新開地へ向かう
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行列総指揮を先頭に、ハーバーランドを後に新開地へ向かう
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道々を御祓いする猿田彦
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雅楽を奏で続ける伶人ら
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新開地商店街へ進む騎馬武者
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湊川公園での御旅所祭
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舞楽「湊川」を舞う舞武者。大勢の参列者から拍手が湧き上る
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奉納舞楽「蘭陵王」
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午後からも、しっかり稚児役頑張ろう。
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束の間の休憩。談笑する参加者達
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馬達も労われる
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列奉行と威儀物。午後の巡行へ
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楠木正季卿代、俳優赤井英和さんは午後からも沿道の声援に応える
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優雅で美しい騎馬女房の列
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甘南備神社の御輿、葱華輦
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湊川商店街で大勢の人々に迎え入れられる
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行列に華を添える風流傘
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湊川商店街を進む大榊
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柳筋を南下する騎馬武者
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柳筋も観覧の人々で埋まる
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終盤に近づいても元気いっぱいの稚児、舞武者達
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行列の帰還を待つ人々で境内は溢れ返る
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御輿・葱華輦共に無事に帰社
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御輿が本殿前に安置され、神霊が本殿へ還される
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還御祭・・・皆様のお陰で無事に執り行われました
楠公さんで親しまれている湊川神社(みなとがわじんじゃ)には、後醍醐天皇(ごだいごてんのう)の命に応えられて建武中興(けんむのちゅうこう)に大いなる功績を残された楠木正成公(くすのきまさしげこう)(大楠公(だいなんこう))をはじめ、御夫人、お子様正行公(まさつらこう)(小楠公)、弟君の正季卿(まさすえきょう)等御一族十六柱と菊池武吉卿(きくちたけよしきょう)がお祀りされています。
湊川神社は、明治5年、殉節(じゅんせつ)された5月25日をもって御鎮座となりました。そしてこの日の新暦7月12日が例祭日(れいさいび)(官祭)と定められ、これに対して5月25日には、氏子等が賑々しく執り行う私祭としての楠公祭が行われることになります。そして明治7年には神輿渡御(みこしとぎょ)が行われ、大楠公を大将とする騎馬武者がこれに供奉したのです。これが御神幸楠公武者行列のはじまりです。
この武者行列は、今から670年以上も昔、建武中興に大いなる功績を残された大楠公が隠岐から御還幸(ごかんこう)の後醍醐天皇を、この神戸の地でお迎えし、京都へ先導された最も晴れやかなお姿を称えて行われてきた行列です。 殊に昭和10年の大楠公殉節600年祭の折には、大楠公を景仰(けいぎょう)する人々によって全国的に神社への崇敬も広がりました。この年5月24日~26日の3日間に行われた楠公祭は、機運が最高点に達したかのように、かつてない盛大且つ殷賑(いんしん)を極めた祭となったのでした。
この年の楠公武者行列では、それまでの行列の姿を大きく変えたのです。なぜなら、南北朝当時の有職故実(ゆうそくこじつ)に即するよう、専門家による厳密な時代考証が行われたのです。そして、衣裳や武具などが出来るだけ往時そのままに新調整備され、実に巨額にのぼる氏子崇敬者の協賛によって一大行列の行装が整ったのです。
新しい装備の楠公武者行列を評して「延元(えんげん)の昔を髣髴(ほうふつ)せしめる南朝の時代風俗を如実に描き出した絢爛豪華な古典絵巻は、蜿蜒(えんえん)三十余町に亘る総勢三千余名の大行列」となり、「沿道の人出五十万人と称せられ」る中を行進、「おそらく空前絶後の武者絵巻を展開」と、その日の新聞(神戸新聞など)が報じているほどとなりました。それが当時の神社"楠公さん"への崇敬の現実の姿であったといえましょう。

- 昭和10年の行列
戦後は、連合軍の占領政策により、神道・神社への弾圧から、当神社への崇敬に及ぼす影響も大きかったようで、戦前のような賑やかな楠公行列の姿を取り戻すことはなかったようです。
それも昭和40年までは簡略化されつつも毎年行われていたのですが、その後地下鉄工事や道路等公共事業のため中断し、平成14年まで満足に実施されたのは2回だけでした。

- 昭和47年の行列

- 昭和50年の行列

- 昭和60年の行列
御神幸楠公武者行列の行われない年の楠公祭は、境内に特設舞台を設け、様々な奉納行事を行い、終日多くの参拝者でにぎわいます。又、5月の1ヶ月間を"楠公まつり"とし、第2土曜日の献華祭(けんかさい)から始まり、5月17日の献茶祭(けんちゃさい)、楠木同族会の奉祝大会が行われるなど、5月中は境内が大勢の人々で賑わいます。
平成14年は、御鎮座(ごちんざ)130年、墓碑建立(ぼひこんりゅう)310年、社殿復興50年という佳節(かせつ)にあたり、楠公武者行列の再度復興が図られ、氏子崇敬者等の崇敬と熱意とによって、また神戸市民や県下企業等の多大の御理解と御協賛をも戴きながら、実に17年振りに楠公武者行列が復活されました。昭和10年に装具・行粧(ぎょうしょう)等が改められた故実に戻すよう、そのほとんどが国からの文化振興助成によって修理・新調されました。まさに67年振り原義に戻って復活を果たしたと言え、大勢の奉拝者の中を勇壮典雅(ゆうそうてんが)に"お渡り"になった姿が、市民に大きな感動をもって迎えられたようです。
行列当日は、素晴らしい晴天に恵まれ、沿道からは、行列を見守る人々の大きな拍手や声援がおこり、「やっと神戸の風物詩が戻ってきた」「生きていて良かった」などと、67年振りに行列が戻ってきたことの喜びの声がさかんに聞かれたことでした。

- 平成14年の行列
平成19年には、大楠公殉節670年を佳節とする記念大祭が、老朽化著しい社殿屋根等修復事業を伴って行われました。氏子崇敬者や企業関係者各位の御協賛を得て、めでたく事業完遂が叶い、その上5年振り楠公武者行列の渡御も賑々しく執り行われました。














